手術後ひと月が過ぎたころ
「あいうえお」ノートと「命の授業」の本を持っていきました。
ところが、夫は文字が読めないような読もうともしない感じでした。
あれだけ本が好きで読んでいたのに、首を振って見ることができませんでした。
血便が出たりしたので、系列の病院へ行くことになりました。
検査の結果腎臓の数値に問題があり、それからの食事が
腎臓食に変わりました。
食堂で食事をしている様子を見に行くと
あまり食事が進まない様子。聞けば味がしないのか美味しくないらしいです。
腎臓食は低たんぱくの食事になるようで同じご飯でも別物のようでした。
この食事のお陰で、退院時には体重が10数キロ減少しました。
毎日のスケジュールに合わせて 機能訓練・作業訓練・言語のリハビリが
行われていました。
理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士 (ST)のそれぞれの
時間割によって進められてました。
ほんとに少しずつですが、機能は回復していきました。
回復病院に来て、1ヵ月半で一人で車椅子からベットに移乗できるようになりました。
日によってすごく元気にしてる時と、そうでない時が交互にくるようでした。
自分の名前や子どもの名前も言えない感じでしたが、「あ・り・が・と・う」が
言えるようになってきたり。
今まで出来なかったことが、できるようになってきました。
それでも、お見舞いに来てくれた母や友達・友人の顔を見ると
大泣きすることもありました。
時間があると、携帯で電話をかけたりメールを送ることが楽しみになっていました。
といっても 夫は話はできませんし、メールも打つことはままならない状況でしたが
みんなと連絡して顔を見る機会ができることが嬉しかったようです。
お見舞いに来て下さる方は、ほんとにびっくりされて夫の体調を気遣ってもらいました。
夫は活動的で学校や校区の役を引き受けることが多かったのでそういったお仲間と
再会できることが楽しみでもありました。
でも、夜になるとやはりいろんな思いが巡ってくるんだと思います。
不自由になった身体やあんなにおしゃべりだった言葉が出てこないのですから
悔しい気持ち・苦しい気持ち、ほんとに悲しかったと思います。
そんな中でも、夫は人に会いたいと思えたことが良かったと思います。
同じ病室にあとから来た年配の患者さんは、奥様に「会社の誰にも言うな」
という態度を示したそうです。
今まで、バリバリ働いていた自分が変わり果てた体を受け入れるには
時間と気持ちの回復が必要でした。
中には、喫煙もできない、毎日のリハビリが苦しくて
「刑務所のようだ」と嘆いている男性もいました。
夫は右半身麻痺と失語症になりました。
右半身は上肢下肢共に全く動きません。
失語症ではありますが、コミュニケーションの理解はできました。
相手の話が分かることでうなずくことはできます。
文字は読みずらくなってましたが記憶がありました。
中には音声は理解できないけど文字はわかる人
文字はわからないけど音声は理解できる人
音声も文字も理解できない人、いろいろなパターン・症状があるようでした。
音声も文字も理解できないとなると、家族とのコミュニケーションも
ままならず相当大変な様子でした。
夫は記憶があることで、こちらの話も理解できることが有り難いですね。