手術後の経過がよくなってきたところで
次はリハビリに励むよう新しい病院へ転院が決まりました。
このころ夫の状況は 子どもからの電話に「う~う~」と答える感じで
言える言葉がなぜか「おとうと」なぜか何回も言ってくれますが
何を伝えたいのかはわかりませんでした。
夫が病院にいる間に 仕事の整理にも追われていました。
あちこちに電話して その後の手続きはどうするのか
止めるものはすべて止めて 仕事の区切りをつけたのでした。
市民病院のリハビリは 尿管も付けたままの状態で
とてもリハビリができる状況ではなかったですね。
言葉は「あ行」が発せられるようになりました。
「あ行」は言えるけど「か行」は言えないみたいです。
子どもとの電話で「お・と・う・さ・ん」と言ってました。
この時はずっと言えるというよりは、その時々で言えることが
変わる、記憶を呼び戻してる様子でした。
転院に際し届いた請求書をみて驚きでした。(大汗)
こんな金額払えなーい(泣き)
(引用:厚生労働省高額療養費制度より)
を利用して金額を抑えてもらえて事なきを得ました。
市民病院へリハビリの病院からお迎えに来てくれました。
リハビリを始めるのあたり 上靴や装具の準備が必要になりました。
お友達がお見舞いに来てくれた報告と嬉しい様子は理解できますが
夫が何か話をしたいことがあっても、こちらではそれを理解するのが
大変でした。
筆談ならできるのかというと そうでもなくて、夫は右利きなので
左で書く字が解読不能。字もよく書けない、書きたい字が出てこない
そんな感じでした。
記憶があることが3くらいだとすると それ以外のことは何もできない状態でした。
期間は4か月。ここでこれからリハビリ開始です。
どこまで回復できるか、身体と言語のリハビリが始まる計画が立てられました。
家族の意向、本人の様子、理学療法士(PT)、作業療法士(
チームで進めていくことが説明されました。
リハビリ開始にあたって装具の調達も必要で、はじめは言われるまま
足・太ももまでの装具を作ってもらいました。
これは、あとから思うと太ももまではいらなかったんじゃないかと思います。
最初は歩けないところからだから支えが必要かもしれませんね。
この病院では、普通の日常生活に近づけるよう
毎日の着替えや食堂でのみんな揃っての食事と
病院でありながら機能回復のためにされていることがありました。
新しい病院で施設も充実していて、職員の方たちもとてもフレンドリー
夫も積極的に関りを持つ感じでとても快適な時間を過ごせていたと思います。
とは言っても、自分の身体が動かないこと話したいことが話せないことが
本人にとってもとても辛かったと思います。
子どもだちと電話で話しては泣き、先輩がびっくりして駆けつけてくれた時も
大泣きしたようです。
夜、面会に行くとそんな夫と二人して泣きました。
時には死んだほうが良かったとこぼすこともありました。
それでも、根っからのポジティブな人なので
職員の方にも笑顔で接する夫をいつも褒めてくださり
病院でも人気者でした。